Summary-August

8月定例会の要約

申命記の構造に由来する契約論

創造主なる神は私たちと、契約というしかたで関わってくださっている。しかるに、契約とは何かというと、これまた、神学書にはとおりいっぺんの形式的な説明があるだけである。静的な契約論しかない。しかし、聖書では著しくダイナミック(動的)な契約論が展開されている。

ローマ書が組織神学の本であると見るならば、申命記は契約の書である。申命記の構造は5つの部分からなっている。

1)神の超越と内在 申命記 1:1-5

2) 秩序/権威/上下関係/代表原則
( 申命記 1:6-4:49)

3) 法/基準/倫理 ( 申命記 5:1-26:19

4) 誓約/裁定/祝福と呪い(申命記. 27:1-30:20)

5) 相続/継続性 ( 申命記 31-34)

古代オリエントにおけるイスラエルを取り巻く他民族のいわゆる「大王の契約(suzerain treaties)」も、申命記の構造にその起原をおいているのである。

以下PaideiaNetworkのウェブサイトからの引用

http://paideianetwork.org/jpn/article/christianworldview/

まず、契約(Covenant)という重要な概念について簡単に見ておくことにいたします。

万物の創造者にして、唯一の生けるまことの三位一体にいまし給う神の言葉である聖書は契約の書です。 創造者である神が人間と契約をむすんでくださったのです。

この契約は神の一方的な恵みにより与えられ、神御自身が憐れみと恵みのうちに、神がこの契約を保持してくださっています。 契約は聖書を理解する上で根本的かつ基本的概念ですのでその性質について手短かに述べます。

まず創造者なる神は4つの契約によって社会を支配しておられます。それは下記の四つです。

1* ひとりひとりの個人との契約

2* 家庭との契約

3* 教会との契約

4* 国家との契約

 

契約の五特質

さて、Ray Suttonという牧師は、その著書That You May Prosper(あなたが栄えるために)において、契約には下記の5特質があると述べています。

1. 神の超越と内在(Transcendence and immanence)—神の主権
神は万物の創造者であり、今も万物を御自身の御旨によって支配しておられます。創造者なる神は御自身のお造りになった被造物と区別されます。いいかえると、被造物が神になることはありません。神は御自身の主権によって、すべてを支配しておられます。

同時に神は被造物と共におられます。神は被造物からまったくかけ離れて存在しておられるのではなく、むしろ、万物のすみずみにまで神のみわざがあらわれています。

2. 秩序/権威/上下関係/代表原則/説明責任(Hierarchy/Authority/Order/representation/accountability)

創造者にして支配者である神は、人間をひとりひとり直接的に支配しておられます。人間は神の命令に従わなければなりません。ひとりひとりの個人は自らのなすことを神に対して申し開きをする責任をおっています。

 「私たちはみな神の審判の座の前にたたなければならない。次のように記されているからである。『主いい給う。我は生くるなり。 すべての膝は我が前にかがみ、すべての舌は神をほめ讃う。』それゆえ、私たちは、ひとりひとり神に対して申し開きをしなければならないのである。」(ローマ 14章10節 -12節)

その上で神は社会の秩序をたてられます。ですから全て社会における権威は創造者なる神に依存しています。

3. 法/基準/倫理(Law/Ethics/Standard)

創造者である神は、契約を実行していく際に、法的、倫理的な基準を制定されました。それが、聖書の御言葉であり、そして、特に聖書律法(Biblical Law)と呼ばれている法体系において、神は御自身の御旨を示されています。法なくして、契約は存在し得ないのです。そしてまた、神の定めた法はすべての被造物におよんでいます。それゆえ、すべての存在は必然的に倫理的な存在となるのです。

4. 誓約/裁定/祝福と呪い(Oath/Sanction/Blessing and Curse)

契約は誓約にもとづいて施行されます。創造者なる神に従い契約をまもるならば契約に定められた祝福が与えられ(申命記28章1節-14節)創造者なる神に反逆し契約を守らなければその契約に定められた呪いと裁きが与えられます。(申命記28章15節-68節)

別な言い方をするならば、創造者なる神は因果律を制定されました。すべての物事に原因と結果があります。創造者なる神がすべてを支配し給うゆえに、この因果関係は決して無作為(random)なものではなく、倫理的な意味をもち、それは究極的に神の栄光をあらわすものとなるのです。 個人も家庭も教会も国家も契約を守れば祝福され、契約をやぶれば裁かれ呪われるのです。

5. 相続/継続性(Inheritance/Continuity)

契約は神の御旨によって継続されます。どんなに時代がかわろうとも、神の言葉も神の契約も変わることがありません。

創造者なる神はこう宣言しておられます。

「我を憎む者に向かいては父の罪を子に報いて三代、四代におよぼし、我を愛し我が戒めを守る者には恵みを施して千代にいたるなり。」(申命記5章9-10節)

同時に私たちはどのような時代においても、時が良くても悪くても、創造者なる神との契約を守り続けていかなければならない責任があるのです。


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創造主はこの世界を契約的に治めておられる。であるから、この契約モデルは実は非常に実際的である 神学は基本的に日常生活に役立つ実際的なものなのである!!!

上記の契約の5特質をもっと噛み砕くと以下のようになる。

1)Who is in charge here?
(誰が仕切っている?)

2)To whom do I report?
(誰に説明責任をおっている。ボスはだれ?)

3)What are the rules?
(ルールは?)

4)What happens to me if I obey(disobey)?(したがえば/従わなければ、私に何が起こる?)

5)Does this outfit have a future?
(将来うまくいくのか?見通しは?)

ある意味で人間のなすすべての活動はこの5ポイントに関わっている。というのは創造主なる神は契約的に被造物と関わっておられるからである。家庭も教会も経済も政治も科学も哲学もすべてこの意味でこの5ポイントに関わっている。言い換えるとすべては契約的な意味を持っている。 契約神学の教えることはかくも広大な意味をもっており、それはすなわち聖書の教えるところそのものである。



十戒における契約の5特質

実は十戒にも、契約の5特質があらわされている。十戒は下記のようにクリスチャンが祭司として守る指針と王として守る指針の二つに分けられる。

Priestly Code(祭司規則)

第1戒 Transcendence(超越・内在):  prohibition of false worship(偽りの礼拝を禁止する)

第2戒  Hierarchy 秩序/権威/上下関係/代表原則/説明責任 no graven images(representation)偽りの神々を代表する偶像に頭をさげてはならない。

第3戒  Ethics(倫理・法):  prohibition against misusing God's name("no trespsassing" sign around His name)
神の御名を誤用乱用することは倫理的に違法であり悪である。

第4戒  Oath(祝福と呪い):  Sabbath as a day of judgement(baptism, Lord's supper)毎週、主の日にわたしたちは祝福と裁き(懲らしめ)を受ける

第5戒  Successsion (相続・継続) honoring father and mother; long liife as the promised inheritance.父と母をうやまうことによって約束される祝福について。







Kingly Code(王規則)

第6戒 Transcendence(超越・内在)prohibition against murder(God's image)神の似姿である人を殺してはならない。

第7戒  Hierarchy(上下関係/権威/秩序)prohibition of adultery(Covenant authority) 家庭は 契約的に権威づけられているので姦淫によって破壊してはならない。

第8戒  Ethics(倫理/法)prohibition against theft
盗むことは違法であり、悪である。

第9戒  Oath(祝福と呪い/誓約)no false witness 偽りの誓約をしてはならない。

第10戒  Successsion (相続・継続) no coveting of another's property, which constitutes family inheritance 隣人の所有するもの(家庭の相続)をむさぼってはならない。







カルヴィン主義の5特質にみられる
契約の5特質

いわゆるカルヴィン主義の5特質は実はこの契約の5特質の要素と関わっている。カルヴィン主義の5特質は上述の契約の5特質の救済論における適用なのである。


1.  Total depravity/innability  /  全的堕落/無能力Ethics(man's)
法/基準/倫理
(神の法により人間は罪にさだめられる。)

2.  Unconditional elction/Oath(God's)無条件的選び
祝福と呪い/誓約 
(ある者たちは救いに選ばれある者は滅びに定められる。)

3.  Limited atonement/Hierarchy(representation)
特定的贖罪
代表原則
(キリストは救いに選ばれたものたちのため(救われるものたちの代表として/恵みの契約の代表として)に特定的に十字架の上で身代わりの刑罰をうけられた。

4. Irresistible grace/Transcendence(Sovereignty)
不可抗的恩恵
神の超越と内在)—神の主権
(聖霊なる神が救いに導かれるとき罪人はその恵みに抵抗できない。)

5. Perseverance of the saints/Succession
聖徒の堅忍
相続/継続性
いったん救われたものは永遠に救われている。




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契約の五特質の展開




キリスト信仰そのものがこの契約の5特質と関わっている。

1 神の主権-- 神の超越と内在/神の主権

2 神の御言葉の絶対的権威
-- 権威/ 秩序/上下関係

3 神の律法(theonomy) ---
法/基準/倫理

4 契約的世界観—
誓約/裁定/契約に伴う祝福と呪い

5 後千年王国
—神の御国の相続・継続


上記をもっと詳しくすると


1 神の主権---Calvinismカルヴィン主義神学/世界観
神はその主権によってすべてを保持し支配しておられる。

2 神の御言葉の絶対的権威---presuppositionalism   episitemological self-consciousness ヴァン・ティルの前提論、認識論----認識論的/倫理的自覚
聖書の御言葉がすべての出発点である。


3 神の律法(theonomy)  1st. 2nd, and 3rd use of the Law of God 律法の第1用法、第2用法、第3用法、神の律法は現代社会にも適用される。律法を守ることによって救われるのではない。しかし神の律法はすべての分野における基準となる。


4 契約的世界観  Covenantal world and life view / covenantal community,  family integrated church/  casuistric approach to any subject
契約共同体としての教会。教会は家庭があつまって建て上げられていくのであって、いわゆる小グループによって家庭を細分化・解体する方法によってたてあげられるべきものではない。
御言葉を解き明かし、かつそれを実際にすべての分野に適用し、すべてを聖書的世界観によって判断していかなければならない。すなわち聖書にもとづく決疑論を持つことが必要である。


5 後千年王国    Partial preterism/    Optimistic millennialism   

教会は、歴史の完成にむかって勝利の歩みを続ける。
御心が天になるように地においてもなされる。神の御国は前進しているのである。 紀元1世紀に比べればクリスチャンの数は圧倒的に多い。それだけでも神の御国は前進している。紀元2世紀にバッハの音楽はなかった。

教会は常にこの世に敗北し続けるなどという終末論は20世紀の妥協した教会の弱さから出てきた。ピルグリムもピューリタンも、たとえばジョンノックスもスポルジョンも皆、キリストの御国のこの地上における勝利を信じて疑わなかった。19世紀の世界宣教は 後千年王国の教えによってなされた。

キリスト教会の歴史において、もっとも輝かしい働きがなされたとき、それはいつもクリスチャンたちが神の御国と教会の勝利を信じていた( 後千年王国説に立っていた)時代であった。
                           

多くの人々がヨハネの18章36節の主の言葉を誤解している

イエスは答えた。「わたしの国はこの世のものではありません。」 

この言葉は神の御国はこの世と何の関わりもなく、クリスチャンの心の中にのみあるとか、教会の中だけにあるという意味ではない。


ここの主の御言葉は元来「わたしの国はこの世から出たものではありません。」と訳すべきところでる。

ギリシャ語の「エク」という前置詞は英語でいうところのfromである。

つまり神の御国はこの世からこの世の考え方からスタートしたのではないということを主はおっしゃっているのである。人間の基準で動くのではなく、神の主権のもとに、神の御旨のもとに建て上げられる神の御国の支配はこの地上において見える形で実現するのである。

「わたしには天においても、地においても、一切の権威が与えられてます。」マタイ28:18

キリストの支配は歴史において、個々のキリスト者をとおして、クリスチャンの家庭をとおして、教会をとおして、歴史の完成にむかって少しずつ世に対して(途中一進一退することはあっても)勝利しながら、拡大していくのである。




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以下PaideiaNetworkのウェブサイトからの引用

http://paideianetwork.org/jpn/article/christianworldview/

すべての社会制度は創造者なる神の主権的支配のもとにあることが聖書にかかれています。

創造者なる神は無限、永遠、不変であられます。

無限であるゆえに唯一の神なのです。また神はすべてを主権的に支配しておられます。

神に従うのでもなく、神に反逆するのでもないといった中立の立場は存在しません。

Robert Thoburn という教育者は次のように述べています。

「中立の立場が存在するなどというのは空想にすぎない。.... 中立の立場とか中立領域などというものは存在しない。 全ての分野/領域は(創造者にして主権者である)神の関与と支配のもとにあり、それゆえ、神の関与と支配の及ばない分野/領域などというものは存在しない。 もし中立領域が存在することを認めるならば、それは、神が全宇宙のほんの一部に閉じ込められていると主張することを意味するのである。」Robert Thoburn, The Children Trap  (Ft. Worth Texas: Dominion Press, 1986), p. 82

こういうわけで、キリスト教的世界観か非キリスト教的世界観かの二つの世界観しか存在しないことになります。現代社会の混迷の原因は絶対的存在である創造主なる神を否定し、その結果として、すべての価値基準を相対的にとらえてしまう相対主義が広がってしまったことにあり�ワす。倫理も道徳も相対的なものとなってしまったので、いまや価値判断の基準がなくなってしまっています。

この混迷の状況は単に伝統的価値観と呼ばれているものに戻っても解決しません。というのは伝統的価値観もしょせんは人間のつくりだしたものだからです。

創造者なる神の御言葉のみが不変であり、普遍なのです。 聖書にはすべての分野における解決が示されています。 そこに、わたしたちの進むべき道が示されています。

わたしたちは、創造主なる神につくられた被造物にすぎません。神にいい逆らうことは許されていないのです。

「ああ人よ、神にいい逆らうあなたは何者なのか。つくられた者がつくった者に対して、『なぜ、あなたは私をこのようにつくったのか?』といえるだろうか。陶器を作る者は、同じ土のかたまりを 尊い目的に用いる器にも、賤しい目的に用いる器にもする権能をもっていないのだろうか。」(ローマ 9章20 -21節)

すべての人は前提によって生きています。

R. J. Rushdoony という神学者は次のように述べています。

「もし人が自分の前提に忠実に論理的であるならば、例えばもし仏陀の教えに従い、無(nothingness)という前提から出発するならば、彼は無に終わる。 しかし人間が論理的であることは稀である。(創造者なる神を)信じないという前提に忠実であるならば、それは何も知ることができないという結論にいきつくのである。

ところが罪人はこれを認めない。 彼はこう主張するのである。すなわち 『神に関することや神を指し示す状況に関してだけは何も知ることができない』と。 そして、彼は神に関すること以外については、いつも(創造者なる)神のみが与えることのできる宇宙を当たり前の前提としているのである。そうしていながら、その宇宙をつくった神を否定するのである。.......

もし人が事実のみから出発するならば、すべての事実を徹底的に網羅的に一つ残らず調べかつ極めない限りなにも知ることはできないのである。」R. J. Rushdoony, "The Quest for Common Ground" in Gary North(ed.), Foundation of Christian Scholarship (Vallecito, California: Ross House Books 1979), p 33

私達はリンゴが木から地面に向かって落ちることを当たり前と考えています。この「当たり前と考えるということ」が前提なのです。 もし事実を調べ確かめ検証することから真理にいたらなければならないと主張するならば、世界中のすべてのリンゴの木を調べ尽くさなければならないのです。そうしない限り「リンゴが木から地面に向かって落ちる」と断言することはできません。こういうことをしていると学問は成立しません。つまり私達は知識を得ることができないのです。

創造者なる神がすべてをつくり、今もなお支配しておられるという前提がないかぎり、わたしたちは、何もできません。 この前提なしに私達は生きていくことは不可能です。

罪人が創造者なる神を否定することは、実は創造者なる神が存在することを認めているからなのです。存在しないものを否定することはできません。

聖書にはこのように書かれています。

「神の怒りは、不義をもって真理を阻む人々のもろもろの不敬虔と不正に対して天から啓示されているからである。 なぜなら、神について知りうるべきことは彼等に明らかであるからだ。神がこれを彼等に示されたのである。なぜなら神の、目にみえない属性、すなわち永遠の力と神性は 世界が創造されてから被造物において はっきりと認められ理解されるがゆえに、彼等が言い逃れることはできないのである。」(ローマ1章18節-20節)

以上、社会制度について、聖書に示されている世界観にもとづいて、短く考察をしてみました。

これを理想論として片付けるべきではありません。 

聖書において 創造主であられる神は個人、家庭、教会、社会が神に従うことを命じています。創造主なる神の言葉の真理を前提としないかぎり、私達は何もできないのです。私達ひとりひとりの個人の人生において、家庭において、教会において、国家において、その他もろもろの組織において、主権者なる神が指し示す基準がなくなってしまえば、私達の前には荒廃と滅亡がもたらされるだけなのです。創造主なる神なき社会は死と滅亡に向かいます。そして、今まさに、この現代において、私達は社会が創造主なる神に反逆し、死と滅亡の道に向かっていこうとするのを見ています。

創造主にして絶対主権者なる生ける唯一のまことの神はかつて、モーセをとおしてイスラエルの民に対して次のように命ぜられました。 そして、この命令は現代に生きる私たちにも与えられているのです。

 

「見よ、我、今日(きょう)、命と幸い および 死と災いを 汝の前におけり。すなわち、我、今日 汝(なんじ)にむかいて汝の神 主を愛し、その道に歩み、その戒めと律法(おきて)を守ることを命ずるなり。 

しかなさば、汝 生きながらえてその数多くならん。 また汝の神 主、 汝がゆきて、得るところの地にて汝を祝福(めぐみ)給うべし。 

されど、汝もし心をひるがえして、聞き従わず、誘(いざな)われて他の神々を拝みまたこれに仕えなば、我、今日、汝らに告ぐ。汝らは必ず滅びん。..............

我 今日、天と地を呼びて証(あかし)となす。 我は生命(いのち)と死  および  祝福(めぐみ)と呪詛(のろい)を汝らの前に置けり。

汝、生命(いのち)を選ぶべし。 

しかせば、汝と汝の子孫 生存(いきながら)うることを得ん。(申命記 30章15節-19節)」

 

参考文献

DeMar, Gary. God and Government Vol. I . Atlanta, Georgia: American Vision Inc. , 1990

DeMar, Gary. Ruler of The Nations. Ft. Worth, Texas: Dominion Press, 1987

North, Gary. Liberating Planet Earth. Ft. Worth, Texas: Dominion Press, 1987

North, Gary. The Dominion Covenant: Genesis. Tyler, Texas: Institutes of Christian Economics, [1982]1987

North, Gary. Tools of Dominion. Tyler, Texas: Institutes of Christian Economics, [1990]1997

Rushdoony, Rousas John.  By What Standard? Tyler, Texas: Thoburn Press, [1958] 1983

Rushdoony, Rousas John. Systematic Theology in 2 volumes. Vallecito, California: Ross House Books, 1994

Rushdoony, Rousas John. The Institutes of Biblical Law. The Presbyterian and Reformed Publishing Company, 1973.

Rushdoony, Rousas John. The One and The Many. Fairfax, Virginia: Thoburn Press,[1971]1978

Rushdoony, Rousas John. This Independent Republic. Fairfax, Virginia: Thoburn Press, [1964]1978

Sutton, Ray. That You May Prosper. Tyler, Texas: Institutes of Christian Economics, 1987

Thoburn, Robert. The Children Trap. Ft. Worth, Texas: Dominion Press, 1986

 

17.08.2008. 05:41